こんにちは。かわの歯科医院の河野秀則です。
ー先生のプロフィールをご紹介くださいー
はい、昭和34年1月生まれです。福岡県福岡市中央区出身。父が大分県、母が鹿児島県出身です。
ー子供の頃どんなお子さんでしたか?ー
小学生時代:福岡市の平尾小学校出身です。ランドセルを置くと友達と外で遊び回っていました。
中学時代:福岡市内の平尾中学、那珂中学に通っていました。背は前から数えたほうが早く、女子より小さい事がいやでしたね。勉強はただ授業をよく聞いていました。部活では陸上の中距離選手でした。
高校時代:福岡市の筑紫丘高校に通っていました。こちら、タモリさんが先輩です。
部活は化学部。この頃は映画にハマっていて一人で毎週中洲までチャリンコで映画鑑賞していました。
ー大学生の頃の先生は、どんな学生でしたか?ー
大学時代1:九州大学の工学部へ。コールアカデミーという男性コーラス部に所属して、マネージャーとして定期演奏会などや時にマスコミ対応などしていました。伝統的に、OBに呼ばれると現役の部員はどこへでも歌いに行っていました。その頃の後輩が九大のコーラス部で指導しており、自分の結婚式でも後輩たちが総勢30名程歌いに来てくれました。
大学時代2:工学部へ入学し3年生の頃、自分がやりたい事と違うと感じ、進路変更を決意しました。
猛勉強の末、九大歯学部に再入学しました。その当時、大学2年間は医学部生と一緒に学んでいました。その頃のメンバーとは今でも年に2回は集合します。皆んな医者として頼もしい存在で大学の教授になった人もいますが、今でも、呼び捨てで呼び合う仲間たちです。仕事の面でも相談や連携ができる事が有難いです。
ー歯医者になられて開業前は、どんなご経験をされたのでしょうか?ー
歯医者修行時代:大学卒業後、医療法人”恵歯会(けいしかい)”に就職しました。
その当時、北は、福島から南は大東島まで分院を持つ大所帯の医療法人でした。
分院時代1:初めての配属先は、福島県の猪苗代の分院。初めての東北は「ズラげな、ゲナずら」(笑)の世界でした
分院時代2:その後つくばみらい市の分院では、1日に60〜70人は診療しており、食事する暇はほぼありませんでした。その時に非常に多くの症例を治療し、今でもその時の経験が役立っています。
院長時代1:その後山口県の周南市で初の院長を務め、スタッフをまとめつつ高度な診療をいかに行うか力を注ぎました。院長としての成績も医療法人の歴代一番になれた事が嬉しかったですね。
院長時代2:福岡市内の病院の院長に。東北、関東、中国地方での診療と九州での診療の違いを経験しました。
福岡は、デンタルIQが高い県だと感じています。口中虫歯だらけな人、走り回る子供はいなかったです。
現院長として:平成7年11月15日にこちらの太刀洗でご縁があり開業いたしました。
ーどうしてこちらで開業されたのでしょうか?ー
医療法人の理事長からは、関東での開業を強く勧められ実際検討もしていましたが、私は長男でもあり、せっかく歯医者になったからには、両親や親戚の口の健康の為に役に立ちたいと考えました。
結果、亡母を最後まで支え、少なくとも口の健康に関しては責任を持つ事が出来て良かったと思います。
福岡は、ご存知の通り、県下に3校の歯科がある大学があり歯医者が多い地域です。地図を見ると歯科医院が比較的少なく、こちら太刀洗では私が少しでもお役に立てるのではないかと考えました。
現在:太刀洗小学校の校医、2つの保育園(太刀洗保育園、海の星保育園)の嘱託医、介護認定医として地域のために働かせて頂くご縁を頂いております。
これからも、”生涯ご自分の歯で食べる事ができる”(8020運動)を念頭にする治療を目指し、精進して参りたいと思っております。
今後ともどうぞよろしく御願い申し上げます。
院長 河野 秀則